屋根と庇
庇 (ひさし。屁ではありません) をつけるかつけないか、という議論が某所で盛り上がっていました。
庇は、冬 (太陽が低い) には部屋に暖かい陽を部屋に入れ、夏 (太陽が高い) には直射日光を遮るという、
すばらしい気候コントロール機能を持っています。
雨の多い日本では、雨が外壁や窓の建具を傷めるのを防ぎ、ひいては横からの雨漏りを防ぐ、
という大事な機能もあります。
しかし最近では、サイディングやアルミサッシがあるから庇は要らないと言います。
モダニズムの流れなのか「庇は建築デザインを損なう」との理由でつけない家も多くなっています。
たいがい、何年かすると窓の下にヨダレを垂らしたようなシミができていますけどね・・・
気になって日本の古建築をチェックしてみたのですが、庇ってついてないんですよね~、これが。
(土蔵や茶室などに例外はありますが、細かい揚げ足とらないでね^_^;)
なぜかというと、庇なんか要らないくらい大きな屋根があったからです。
(例:写真上左・伊勢神宮下宮、上右・桂離宮大書院)
日本建築は「屋根の建築」です。
・屋根の角度は、瓦等の屋根材は落とさずに雨水やゴミだけをサラサラと流れ落とすように
・軒の出は、風に吹き上げられないギリギリの大きさで日照をコントロールするように
周到に計算されて作られていました。
塀や門の類にまで三角屋根がついていたことも、昔の人がいかに雨がかりを心配していたかを物語っています。
ヨーロッパなどでも、地域(気候)によって、屋根の角度や形状はほぼ決まっています。
日本と違うのは、この「地域ごとの屋根形状の原則」を破る人はほとんどいないということです。
大きな屋根、深い軒を備えていた本来の日本建築には、庇は必要はありませんでした。
庇って、増築した縁側、軒の浅い切妻屋根の妻側(例:写真左下・漁村の民家)・・・といったところに、
しかたなく出来てきたものなのではないでしょうか?
(切妻自体、もともとは安上がりのカジュアル建築)。
そのあたりにも、美にこだわる建築家の先生方が庇を毛嫌いされる理由が潜んでいるのではないでしょうか。
確かに、小さな屋根の家に庇がついていると、眉毛ばかり目立つ顔を見ているようで、不細工です。
本来あるべきものではない、という気がします。
ならキレイに見えるようにデザインしましょうよ、と言ったのは住宅の巨匠・宮脇檀先生とARC3391さんです(?)
機能やメンテを考えたら、やっぱり庇(理想的には、大きな屋根)はあった方がいいと私も思います。
写真右下は、私達が5年間住んでいたカリフォルニア州デービス市のアパートです。
ここは夏場は連日40℃を超える猛暑の地です。
ところが、この家ではあまりエアコンを使ったことがないのです。
外は「日中に外出すると死者が出る」くらいの猛暑(だから車のエアコンはギンギン)なのに、
一歩部屋に入るとひ~んやりと感じるのです。
現実には室内も30℃以上になっていることもありましたし、湿度が低いことも助けにはなっていたでしょう。
しかし、この快適さをもたらしていたのは「室内外の適当な温度差」、
そしてそれを作り出している深い軒ではなかったかと思うのです。
この建物の軒の出は、目測ですが、4フィート(1200mm)以上は確実にありました。
だから夏には直射日光はほとんど入りません。
そして、窓は必ず2方向に相対してついているので、窓を開ければス~っと風が通るのです。
ついでに言えば、この深い軒の下には、隣人と立ち話のできるセミ・プライベートな空間がありました。
日本の縁側と同じ理屈ですね。
北カリフォルニアの建築というと、シーランチのモダン・リビング風別荘群や、
サンフランシスコのビクトリア様式アパートなど、軒や庇などほとんどない建築が有名ですが、
それらは海沿いの一年中涼しい地域の話です。
トンネル(山)をひとつ超えたら突然気温が10℃変わるくらい、海沿いと内陸では気候が違います。
そしてデービスは内陸のど真ん中。木を植えるのも遊びや道楽ではないのです。
(新築するときは必ず一定量の緑陰を作るべし、という厳しい条例もあります)。
でも、時々、サンフランシスコやバークレーから有力な建築家がやって来て、
軒もなく、風通しも悪い建物を作って帰っていきます。
写真のアパートは当時で築40年の学生寮でしたが、大家(大学)は、この広いオープンスペースを潰し、
もっと密度の高い、塀で囲まれたコートヤード形式のアパート群に建て替えを企んでいました。
このあたりの大学の計画委員会では、コートヤード形式が良好なコミュニティづくりに一番良いという、
白人由来の「絶対」理論がまかり通っていたのです。
(私の修論はそれに反対する戦いでしたが、敗れました)。
今頃はこの建物ももうなくなって、軒のない箱型住宅に建て替わっているかもしれません。
庇は、冬 (太陽が低い) には部屋に暖かい陽を部屋に入れ、夏 (太陽が高い) には直射日光を遮るという、
すばらしい気候コントロール機能を持っています。
雨の多い日本では、雨が外壁や窓の建具を傷めるのを防ぎ、ひいては横からの雨漏りを防ぐ、
という大事な機能もあります。
しかし最近では、サイディングやアルミサッシがあるから庇は要らないと言います。
モダニズムの流れなのか「庇は建築デザインを損なう」との理由でつけない家も多くなっています。
たいがい、何年かすると窓の下にヨダレを垂らしたようなシミができていますけどね・・・
気になって日本の古建築をチェックしてみたのですが、庇ってついてないんですよね~、これが。
(土蔵や茶室などに例外はありますが、細かい揚げ足とらないでね^_^;)
なぜかというと、庇なんか要らないくらい大きな屋根があったからです。
(例:写真上左・伊勢神宮下宮、上右・桂離宮大書院)
日本建築は「屋根の建築」です。
・屋根の角度は、瓦等の屋根材は落とさずに雨水やゴミだけをサラサラと流れ落とすように
・軒の出は、風に吹き上げられないギリギリの大きさで日照をコントロールするように
周到に計算されて作られていました。
塀や門の類にまで三角屋根がついていたことも、昔の人がいかに雨がかりを心配していたかを物語っています。
ヨーロッパなどでも、地域(気候)によって、屋根の角度や形状はほぼ決まっています。
日本と違うのは、この「地域ごとの屋根形状の原則」を破る人はほとんどいないということです。
大きな屋根、深い軒を備えていた本来の日本建築には、庇は必要はありませんでした。
庇って、増築した縁側、軒の浅い切妻屋根の妻側(例:写真左下・漁村の民家)・・・といったところに、
しかたなく出来てきたものなのではないでしょうか?
(切妻自体、もともとは安上がりのカジュアル建築)。
そのあたりにも、美にこだわる建築家の先生方が庇を毛嫌いされる理由が潜んでいるのではないでしょうか。
確かに、小さな屋根の家に庇がついていると、眉毛ばかり目立つ顔を見ているようで、不細工です。
本来あるべきものではない、という気がします。
ならキレイに見えるようにデザインしましょうよ、と言ったのは住宅の巨匠・宮脇檀先生とARC3391さんです(?)
機能やメンテを考えたら、やっぱり庇(理想的には、大きな屋根)はあった方がいいと私も思います。
写真右下は、私達が5年間住んでいたカリフォルニア州デービス市のアパートです。
ここは夏場は連日40℃を超える猛暑の地です。
ところが、この家ではあまりエアコンを使ったことがないのです。
外は「日中に外出すると死者が出る」くらいの猛暑(だから車のエアコンはギンギン)なのに、
一歩部屋に入るとひ~んやりと感じるのです。
現実には室内も30℃以上になっていることもありましたし、湿度が低いことも助けにはなっていたでしょう。
しかし、この快適さをもたらしていたのは「室内外の適当な温度差」、
そしてそれを作り出している深い軒ではなかったかと思うのです。
この建物の軒の出は、目測ですが、4フィート(1200mm)以上は確実にありました。
だから夏には直射日光はほとんど入りません。
そして、窓は必ず2方向に相対してついているので、窓を開ければス~っと風が通るのです。
ついでに言えば、この深い軒の下には、隣人と立ち話のできるセミ・プライベートな空間がありました。
日本の縁側と同じ理屈ですね。
北カリフォルニアの建築というと、シーランチのモダン・リビング風別荘群や、
サンフランシスコのビクトリア様式アパートなど、軒や庇などほとんどない建築が有名ですが、
それらは海沿いの一年中涼しい地域の話です。
トンネル(山)をひとつ超えたら突然気温が10℃変わるくらい、海沿いと内陸では気候が違います。
そしてデービスは内陸のど真ん中。木を植えるのも遊びや道楽ではないのです。
(新築するときは必ず一定量の緑陰を作るべし、という厳しい条例もあります)。
でも、時々、サンフランシスコやバークレーから有力な建築家がやって来て、
軒もなく、風通しも悪い建物を作って帰っていきます。
写真のアパートは当時で築40年の学生寮でしたが、大家(大学)は、この広いオープンスペースを潰し、
もっと密度の高い、塀で囲まれたコートヤード形式のアパート群に建て替えを企んでいました。
このあたりの大学の計画委員会では、コートヤード形式が良好なコミュニティづくりに一番良いという、
白人由来の「絶対」理論がまかり通っていたのです。
(私の修論はそれに反対する戦いでしたが、敗れました)。
今頃はこの建物ももうなくなって、軒のない箱型住宅に建て替わっているかもしれません。