元祖集成材?-松江城-

城の話が頻出して、なんだか城マニアみたいに思われそうですが、以前にはぜんぜん興味がなくて、最近にわかに見始めたジャンルなんです。東大寺の大仏殿の柱は、再建のときに同じ大断面の木材が入手できず、しかたなく寄木にしたような話を聞きました。松江城の柱はすべて、何本かの木材を抱き合わせ、鉄のバンドと鎹で留めまくっています。

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しかしこちらは東大寺で聞いた話とは違い、一本丸太よりもこの方が強いからわざとこうしたのだという説明でした。それが真実であったにしろ負け惜しみであったにしろ、集成材と同じ考え方の技術であったことだけは確かでしょう。

ベニヤと同じ考えで、木材の繊維方向や密度をあれこれ混ぜるて均一にすることにより、多方面からの力に対する抵抗力を高め、強度計算をしやすくする技術です。ただしこちらでは、集成材のような接着剤は使っていないと思いますが。

石組みも、外から見ると他の城に比べて荒々しい造りに見えますが、これが丈夫なんだそうです。階段も、いざというときには簡単にはずせるよう、木材の中で最も軽い桐で作られています。

このように、美しさよりは頑丈さ、実戦における機能を満載した松江城ですが、徳川300年の太平の世になってしまって、元の築城主はさぞガッカリ?しまいには松平不昧なんて茶人として知られる文化人な城主まで輩出することになっちゃって・・・

しかしおかげでここ、築城以来焼失もせず、市民の声のおかげで明治維新の廃城も免れ、一度解体修理しただけのようですから、傷んで取り替えた部材を除き、材木も構法も昔のまんまです。これでも国宝とは認められず、重要文化財止まりなのですね。国宝と重要文化財の線引きって、いったいどうなっているのでしょう?

松江城天守閣の中は、展示物も本物ばかりで、安っぽいレプリカや変な人形もなく、大変見ごたえがある、良い城だと思いました。(名古屋城の点数がどんどん下がってる・・・?)

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宍道湖が遠くに見渡せる天守からの眺めもさわやかです。この下で「めぐみ・のぞみ(マナ・カナ)」は路上ライブをしていたのですね。時期ハズレだろうと諦めていた桜もまだかなり残っており、得した気分。(でも、そのおかげで余計なブルーシートが・・・)

さて次は、「松江の人はこれを見ないと一日が終わらない」という、宍道湖に沈む夕陽を見に行くことといたしましょう。