エレベータと高層マンションについて

ル・コルブジェの責任ですよね、元を正せば。
こりゃ、全部スイスの責任だ(?) 

阪神大震災のとき、高層マンションのエレベーターと水道が止まり、毎日水を汲んだバケツを抱えて20階まで階段を上ったという話を聞いたとき、マンションの高層階を買うのはやめておこうと思いました。

都ホテル(現・オークラホテル)が東山の景観をさえぎりながら立ち上がっていくのを毎日眺めながら、「自分が良い眺めを得るために他の人々の眺めをさえぎる」というような破廉恥な行為はしたくない、とも思ったものです。

窓も開けられないような高層階に住む子供達は凶暴な行動を取りやすいというデータもあるらしいです。
なかなか外気に触れられないのでストレスがたまるのだとか・・・
15階あたりに住んでいる人ですら「外出するのに決意がいる」と言っているのを聞きます。

でも今、大阪は空前の都心高層マンション建設ラッシュです。

1993年、震災前の神戸で開催された「若手建築家の国際フォーラム」で(若気の至りでそんなところに出没していたこともありました(^_^;)、大手ゼネコンと有名大学教授が共同研究として立ち上げた「1000メートルタワー構想」の発表に対し、Doodlin'は「そんなバカな企画はやめろ!」と食ってかかったことがあります。

男の人に闘争心がありがちなのと同じく(「戦争してみたい」って内心思ってない?)、技術者には新しい物を開発したいという本能があるようです。

古来、「建築技術」の基本は「重力に逆らって高い物を立ち上げていくこと」だったでしょう。

使い道の結末も考えずに原爆を作ってしまった天才科学者達もいます。
「未知・未踏への挑戦」が本能なんですから仕方ないことかもしれません。

当時、ゼネコン各社が1000メートル級の超高層タワー建設の技術を競い合っていたそうです。
でも、シンガポールや香港ならいざしらず、今の日本に1000メートルタワーが必要ですか?

中国返還後、カナダに大量移民した香港人たちが、あんなに土地の余っている国にどんどん高層マンションを建設しているという、おかしくも哀れな話を聞きました。
香港の建築家に確認したところ、高い所に住んでいないと落ち着かないのだそうです!
そういう特殊な住嗜好を持つ人々は別として・・・

「水平のコミュニティーを垂直方向に置き換えてみました」
という有名大学教授のバカな説明に対してDoodlin'は
「隣の家の人を訪ねるのと同じように上下階の人と親しくなれますか?」
「人間が水平移動するのと垂直移動する労力は同じですか?」
と強く反論したのです。

当時ご健在だった丹下先生や菊竹先生(皆さん、コルブに少なからぬ影響を受けていらっしゃる世代)もいらっしゃる中、そしてゼネコンの社員も多数出席している中、その場でDoodlin'の肩を持ってくれる人はいませんでした。

しかしセミナーが解散した後、ヨーロッパや南米の建築家達が何人もやってきて、「君のほうが正しいと思ったよ」と声をかけてくれました。「ヨーロッパではあんなバカなことを言い出す建築家はいないよ」とも。

お世話になった大先輩で、先ごろ大手設計事務所の重役をお辞めになった方がいます。
その理由のひとつは、「大物(高層ビル)ばかり設計しているのがイヤになったから」。
その方は以前からスクラップ&ビルドのシステムに疑問を持っていらっしゃいました。

でも、採算をとり社員に人間らしい給与を支払うには、大物の新築物件を扱うしかなかったそうです。
3階から20階までほぼ同じ設計図でも総工事費x歩合で設計料がもらえるなら、そりゃ当然ですよね。

確かに、小さな戸建て住宅の「使い勝手」をいくら考えたって設計報酬は増えませんよね。
でも、今の地位や収入を捨てても「自分に嘘をつかない仕事をしたい」と思われたお気持ち、わかります。

建設業界は「作ってなんぼ」です。でもどこかに「本当にこんなもの作っていいんだろうか?」と考えてストップをかける人が欲しいものです。壊して捨てるのも難しい時代なのですから・・・

エレベータの話に戻ります。

電気その他のエネルギーの恩恵は計り知れません。私も毎日電気やガソリンを使ってます。でもやはり、
・「電気があること」を前提とした家づくりや
・「車があること」を前提とした町づくり
が当たり前になってはマズイな~と思います。

機械はいつかは必ず故障します。複雑になればなるほど故障します。

バリアフリーの配慮は当然必要ですし、秋葉オタクの皆様に恨みがあるわけではありません(笑)。

でももっと一般的な話として、停電したら使えない電話」とか、「電気を通さないとお湯が出ないポット」「バッテリーがあがると開かないCD-Rトレイ」って何かおかしいと思いませんか?

エネルギー危機だからといって、原発の恐怖と犠牲を他の地域の人々に押し付けるくらいなら、私は一生エアコンのない大阪の家で暮らす覚悟があります。

いつもいつも悲劇が起こってから慌てるのでは困るのです。

(いつになく熱いDoodlin'になってしまいましたが、「それみたことか!」と思ったので書きました)