ベトナム美食(と、ひとつの疑問)


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ハノイ滞在最終日、日本一ハノイに詳しいという先生が、町中どこでも食べられるようなフォーをわざわざタクシーでここまで連れて来てくださっただけのことはあって、これは激ウマでした。各レストランの住所は写真に書いてある通りです。

でも、少しだけ疑問に思ったことがありましたので、長くなりますが、他所に書いた文章を引用させてもらいます。

栄養たっぷりの豪華な丼が一食100 円で食べられる地元の店から、ひとり3000 円以上かかる外国人向の高級店まで紹介していただいたが、さて、高級店の食事は30 倍の価値があっただろうか?30 倍のコストのかかる食材を使い、店員には30 倍の人件費をかけていたであろうか?答えはおそらく否である。

この価格差は支払う顧客層の違いによって生じたものに他ならない。では我々は、「高いと言っても日本よりは安いから」といって喜んでいて良いのだろうか。一部の経営者に「ボロい商売」をさせることは、長い目で見てその国を成長させることにはならない。飲食店でも何の生業でも、コストと時間に見合った正当な率で利益・報酬を得てこそ健全なのであり、持続可能なのである。今でも京都などの伝統ある花街では、実はこの大原則が厳格に守られているし、昔の京都の旦那衆はそのような商売をしていたと聞く。

相手が外国人だからといって「濡れ手に粟のボロ儲け」を目論んでいる間は、互いの本当の理解も対等な交流も決して生まれない。

まだベルリンの壁があった頃、夏になると東欧の国々は、「安く過ごせる場所」を求める西欧の旅行者で溢れた。旅行先の国の文化を知りたいというわけでもなく、地元の人と交流したいというわけでもなく、一ヶ月の生活費が安上がりだからといって時間を過ごしに来る人達が押し寄せた。同じ動機から老後を言葉も通じない外国でメイドを雇って過ごそうとする退職者も、ウォンが安いからといって買い物だけを目的に韓国へ飛ぶ日本人も同じだ。失礼な話だ。そういった愚かな日本人
を騙して少しでも多く金銭を巻き上げようとする先方の精神も病んでいく。バブルの頃、日本人向けに安物ラインを開発したルイ・ヴィトンは、その誇りを失ったと言って良い。

こういった不健全な経済活動は、長い目で見れば観光客の足を遠のけることにもなる。事実、私がこの歳になるまでアジア諸国にあまり旅行しなかったのは、タクシーのボッタクリや土産物の押し売りを見るのが嫌だったたからに他ならない。傲慢な「先進国」の人々が、自分達がもはや豊かではないことに気づき、心の豊かさのほうを求めるようになったとき、旅先として選ぶのは、現地の人々を信用でき、金銭抜きの交流ができる国であろう。

今回は団体研修旅行だったため、現地通貨を扱うことがほとんどなかったため、レート換算に慣れず、最後に空港の土産物店で1,000 円ほど騙されてしまった。「たった1,000 円」と納得してはいけない。日本では1時間も働けば取り返せる額でも、ベトナムではおそらく日当以上の稼ぎだ。彼らに与える心理的影響は計り知れない。ここで「日本人はチョロいね」という記憶をまたひとつ残してしまったのだとしたら、私の間抜けな失敗は、その後ベトナムを訪れる日本人全員の財布と、ベトナム人の良識とに、大きな穴を開けてしまったのである。

研修の最終日、私はハノイの人々に向けて「ものがあることが幸せだと思わないでください」と言ったが、あれは心の底からの緊急メッセージだった。長年ベトナムで仕事をしている友人からの手紙によれば『急激な経済成長で中身のない虚業に浮き身をやつすベトナム人も次第に増えていることは、日本人がたどった道でもあるのですが、どうにも残念です。場所によっては、億ション(日本円で!)が建ち並び、投機のために買われて空き家となっているところもある』そうである。わずか数十年先を行った先輩として、ブッシュマンの村にコーラの空き瓶を落としてくるような迂闊な過ちを、私達は厳に慎まなければならない。