出張報告2from カリフォルニア

イメージ 1

カリフォルニア出張最後の夜は、サンフランシスコの中華街でお一人様です。後ろの皿に転がっている丸いものはいったい何でしょう?これでビール・税金・チップも含めて20ドルなので、中華料理店としては決して安くはないのですが、(いつも行ってた店は、家族3人で20ドルくらいでしたから^^; )、横浜の中華街で一皿800円の餃子(!)なんかを見ていたので、あまりショックを受けずに済みました。やはり観光地はしゃーないですね。それに、お料理はちゃんと美味しかったのでOKです。

やぁ~「終わった~!」という感じです。

27日(水)は学生住宅課長のインタビュー。1時間の予定が、たっぷり2時間も喋ってくれました。昼は造園学科長と食事をし、本学の交換留学制度の宣伝。そして例の気難しい教授も無理やり捕まえてアポを取り、いろいろ話をすることができました。同じ手段でアポ取りに来ている大学院生が数名。苦労しているのは私だけじゃなかったのね…

夜はサンフランシスコで勤めていたときの上司の家に夕食にお邪魔しました。ちょうど奥様の誕生日で、近所の人たちが集まってきました。ワインを何本も開けながら、大統領選の話で大いに盛り上がりました。全員民主党支持者でしたが、家庭内でヒラリー派とオバマ派に分かれてもめている夫婦が数組。

28日(木)は、とうとう今回の出張の主題であるアルバニーの大学村に乗り込み~!!!

ここは95年から97年にかけて私たちが住んでいたところで、アメリカ生活最初の土地です。この大学村でResident Advisorの仕事もしましたし、2年間かけた修論研究のテーマもここでした。私達が去った後に大規模な取り壊しと再開発があって、新しいアパートの写真は見ていたのですが、実際に敷地に入ってみたら、あまりの変貌ぶりに「Oh my God!」を連発する羽目になりました。

ここで3名の管理職にインタビューし、さらに11名の住民と面会の約束をとりつけました。私が以前にしていた住民アドバイザーの後任者の人達ともゆっくり話ができました。なぜかここは、トップから受付のお姉さんにいたるまで職員の顔ぶれがほとんど変わっていなくて、12年ぶりに訪ねたというのに、皆からえらく暖かく歓迎してもらえました。鍵や図面もパソコンも事務機も借り放題で、ああ、有難や、人脈。

メールやファックスでアンケートを呼びかけても全く反応がなく、どうしようかと思っていましたが、面と向かって頼んだらあっという間に11名。遠くから来た甲斐がありました。また、ブループリントの図面が山積みされている倉庫から見たかった設計図を引っ張り出しながら、「こんなこと誰もやってくれるわけないよな~」と、返事がもらえなかった理由がよくわかりました。

29日(金)はそんなわけで一日中大学村を走り回り、6人に一時間ずつインタビューし、さらにブループリントの山と格闘し、大型コピー屋で駐車スポットを探して走り回り、クタクタ。電車(BART)でサンフランシスコへ帰り、ホテルのレストランでお一人様ディナーした後は、すぐにでも風呂入ってバタンと寝たい気分でしたが、昔の知り合いとのお約束があったので、眠い目をこすりながら「今一番ホットなんだ!」とかいうMarket Streetのバーへ。

2曲ほど飛び入りで歌わされましたが、多指向性のマイクとギターアンプしかなくてえらい目に…。今度から出張にはかならずマイク持参で行こうと心に決めました(???)

3月1日(土)のアポは午後からだったので、午前中はSFの街歩きをしようと思っていたのですが、資料を準備したりコピー屋を探したり車を借りに行ったりしてたら時間切れ、まっすぐアルバニーへ。そうそう、昔よくご飯食べに行ったビレッジのカフェ、Steveのお兄さん夫妻が後を接いでいましたよ!でも中華料理はもう出してなかったので、カリフォルニアロールをいただきました。

午後いっぱいインタビューで走り回り、夜は地元のロータリークラブのパーティーにお邪魔しました。夫が昔お世話になったロータリアンご夫妻に近況を報告しました。うちの息子と同じくらいの年の男の子が二人いるのですが、水泳選手のご長男、北京はダメだったけど次のオリンピックには出られるかもって!

オークションやらカジノだのダンスだのが続いていましたが、途中で失礼して元教え子君の実家へ。彼の紹介で、ご両親のグループにも京都ガイドに雇っていただいたことがあるのです。こちらのお宅は、手仕事で高級住宅のリフォームを専門にしている大工さんなんです。家にはいないだろうと思っていた教え子君も、大学を卒業してお父さんの下で修業中でした。そういうことになるなら、日本建築を案内した甲斐があったというものです!

3月2日(日)は、お父さんが手がけてきた仕事の現場を急いで案内してもらいました。最低でも数億単位のお屋敷が並ぶPiedmontという町で、ため息がでるような古い住宅の数々。広告は一切していないのに、口コミだけで地元のリピート客を確保しているそうです。これが大工さんのあるべき姿だな~と思いました。

そして築100年の家も、ほとんどの人々が解体せずにリフォームで蘇らせています。ツーバイフォーのリフォームが難しいということはないような気がしてきました。間取りや開口部の変更もガンガンやってましたよ。現場ツアーの後は、京都のクラスに参加した教え子君2名(190cm台の大男2名)と、昨年京都を案内させてもらったご夫婦2組が集まり、プチ同窓会ランチとなりました。

午後からは再びアルバニーの大学村に戻り、最後のインタビュー。私と同じテーマで研究をしている博士学生と知り合いになれて、とてもラッキーでした。実は彼女は、「例の気難しい教授」が紹介してくれたのです。態度は冷たいし連絡は取れないしで頭イタイ先生だけれど、なぜか役に立ってくれる運命のようです。

午後4時過ぎには仕事がすべて終わったので、アポは取っていなかったのですが、いちかばちか、11年もご無沙汰していた私のホスト・ロータリアンにいきなり電話してみました。「今日旅行から帰ってきたばかりだし仕事も溜まってるんだよ、困ったな…」と言われたのですが、「お土産を渡して一言挨拶したら帰りますから!」と食い下がって強行に家にお邪魔しました。言ってみたら、思いのほか歓迎してくれて、長い時間、思い出話と近況報告に花が咲きました。ご夫妻とも変わらず元気で(75歳と74歳)、メルアドも交換できたし、あきらめなくて良かった。突然押しかけても家が完璧に片付いているところが、さすがはアメリカ人の上流家庭です。

こんな感じで休む暇なしの濃い~スケジュールを組んでおりましたので、短期間でしたがとても充実。9日間でなんと総計58名の方々と実のあるお話をすることができました。反面、「今度アメリカに行ったらあれを買おう、あそこに行こう」と6年間思っていたことは皮肉なことに、ほとんど何もできませんでした。たとえば、バークレーの4th Streetやサンフランシスコのユニオンスクエア。一応行ってみたけれど、いずれも18時過ぎだったので、レストラン以外の店は全部閉まっていました。

恥を忍んで買った「地球の歩き方・サンフランシスコ」も、ついに一度も開く機会がないまま。(サンフランシスコに毎日通勤してたのに、旅行者用ガイドブックを買うなんて…)

でも沢山の人にお会いして沢山話が聞けたので、「今回は良し」としました。むしろ、買物を全くしない海外旅行(出張)って、ちょっと自慢かも…帰りはスーツケースに余裕ができる予定だったのですが、新しく入手した資料で再びパンパンです。

というわけで、今回はお土産はゼロです。家で待ってる皆さん、ごめんなさ~い。