飛騨高山・吉島家住宅

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当初予定では3時間だったはずの高山見物は、地震による旅程変更で6時間とれました。有名な「古い町並み」も結構なのですが、ちょっと観光化しすぎ~。普通の平日なのにこの人混みで、建築を鑑賞する感じではありませんでした。店はお土産物屋さんばっかりだし、飲食も東京みたいなお値段で・・・^^;

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伝統建築好きの方には、高山陣屋と、重要文化財の吉島家住宅・日下部家民芸館がお勧め。高山陣屋は皆さん必ずいらっしゃる所でしょうからご紹介は省略しますが、実に見所盛り沢山です。私達はまだ掃除しているような朝一に行き、建物ばかり勝手に見て回ってしまいましたが、全国でも唯一残っている郡代役所ということなので、歴史的なことを理解した上で見たら良かったな・・・書状や各種遺品等の展示も多いので、1時間以上はとってゆっくり見るべきでした。できれば無料ガイドツアーに参加すべきでしょう。後から来たガイドさんの話は実に面白そうで「しまった!」と後悔しました。

陣屋の前の広場には毎日立つ陣屋前朝市があり、名物の漬物とホウ葉餅が手頃な値段で買えました。

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日下部家・吉島家のふたつの重文住宅は、川沿いに立つ大規模な宮川朝市の北側の、比較的静かな道に隣り合って建っています。それぞれじっくり見る価値があるのですが、私は特に吉島家の造りに感銘を覚えました。

今のご当主の吉島忠男氏が建築家なだけあって、維持管理が実によく行き届いています。追記:伊藤ていじ著「建築家・休兵衛」という本は、吉島さんのことを書いたものだそうです。

酒屋を営む豪商だっただけのことはあり、座敷などの造作も非常に贅沢なものでした。この辺りの町家はどこもこのような二重玄関で、表の大戸を開け放っておくと、このように風除室が奥まった玄関アプローチに見えます。

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土間(この地方では「どうじ」と呼ぶらしい)に入ると、吹き抜けの重厚な屋根架構が目を引きます。通し梁は末口で2尺もあるかと思われる極太の松丸太で、長さ5間半!天窓が大きく関西の町家より中は明るい感じ、冬に開けておくと雪が降り込むこともあるそうです。こちらでは天窓は南向きに開けるそうです。やはり陽光の暖かさは大切なんですね。

1尺角桧の大黒柱には、同じくバカ太い梁が両側からドッスーンと突き刺さっています。お~!江戸時代までは町民が桧材を使うことは厳禁だったそうですが、ここは明治41年築なのでOK。

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さらに面白かったのは2階です。中二階ならぬ「高二階」まで段差が続いています。一番奥は立派な床の間つきの座敷。趣味の良いフジ丸太の床柱がありました。奈良井宿でも2階に客間と茶室がありましたが、暖かい2階に大事な部屋を配置するのでしょうか。

また天井の低い部分は無駄なく屋根の形に沿うように、どの部屋も天井が同じ素材のまま折れています。天井部分の断面図が見てみたいな~(しかし毎日新聞社発行「吉島家住宅」は、35,000円・・・)

一階には、畳の部屋から直接入れる蔵もありました。一階の奥座敷には「四方柾」の床柱も発見!四方柾とは、角柱の4面すべての木目が真っ直ぐ揃って出る、非常に贅沢な木材の使い方です。

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薄い建具を隔てて内側は、家人・客人用の囲炉裏と使用人の囲炉裏が土間を隔てて並んでいます。架構の重厚さと建具の繊細さの対比が目を引きます。どこを見ても隙のない美しい造り。「飛騨の匠」という言葉が改めて胸にささります。モダンなインテリアのオフィスもありましたが、全く違和感なく古い家に溶け込んでいました。古民家居住の参考になるのではないでしょうか。

「は~」ほ~」と溜息つきながら見学していたら、あっという間に電車の時間が迫ってきました。3箇所見ただけなのに、6時間でも全く足りず、「また来ます」と言い残して高山を後にしました。

重要なお知らせ
先の北陸地震に関して「木造住宅が倒れた」という報道があちこちでされているようですが、上記のような伝統木構造とペラペラの戦後在来木造住宅とを混同した、とんでもない間違いです。