夫婦愛

イメージ 1奥様と娘さんが書かれた嘉さんの伝記。

ここまでの夫婦愛というものがあるのかと
深く深く感銘を受けました。

実は「いずれ後妻の座」を狙っていた私は
「二回りも若い奥さんがいる」と聞いて
ショックを受けたものですが、

(若いと言っても私の母と同じ年ですが^^;)、

ここまでお見事な話を聞いてしまっては、
もう妬く気も何も起こりません。

愛する嘉さんの幸運を祝福するばかりです。


イメージ 2奥様は、旧姓・中村雅子(芸名も同じ)。

カンヌ映画祭日本代表作品「米(1957年)」の
主役もつとめた東映の若手スター女優でした。

それが、父親役として共演していた嘉さんと、
周囲の反対を押し切って結婚。

清純派女優だった雅子さんは、仕事以外で
共演男優と会話することすら厳禁でしたが、

「(お爺ちゃんの)嘉さんなら安心」と、

ロケ地でも人里離れた山小屋に
2人きりで泊まらされたりしたそうです。(笑)

イメージ 3当時はまだ年齢の離れた結婚はスキャンダル。

会社の怒りを買いスターの座を手放した雅子さんは
10年間は脇役女優として共働きをしましたが、

年齢とともに身体のきつくなり始めた夫の付き人になるため、
すっぱり引退してしまいました。

嘉さんは、主義に合わない仕事は一切しない頑固者。

しかも芝居以外には何ひとつ出来ない人で、
年上の包容力どころか、まるで赤ちゃんだったそうです。

しかも芝居のこととなると家族のことも顧みない、
ワガママの気難し屋の癇癪もち。

「天は二物を与えないのだから、
パパは良い仕事さえしてくれればいい」

と、いつも明るい笑顔で支えたそうです。

イメージ 4俳優と言っても地味な脇役で、しかも社会派。
仕事がなく困窮することも多かったそうです。

おまけに裕福な家に育った嘉さんは金銭感覚ゼロ。
貯金が底をついても、一流店で外食したがったそうです。

雅子さんは、「芸が貧乏くさくなってはいけない」と、
なけなしのお小遣いを渡して夫を送り出したそうです。

自分のほうが主役スターだった人が、ですよ!

もちろん派手に夫婦喧嘩することも多かったそうです。
でも夫を仕事に送り出すときには、必ず笑顔で・・・

「サラリーマンの夫が仕事ばかり忙しがって
ちっとも家事や子育てを手伝ってくれない!」

などと不満を溜め、「年金半分もらって熟年離婚
を企てる奥さんが最近は多いと聞きますが・・・

イメージ 5加藤嘉さんは4回結婚しました。
3番目の奥様は大女優の山田五十鈴さんです。

1~2番目の奥さん達との間の子供達と同居し、雅子さんは
「年下の継母」として苦労されたこともあったようです。

1~3回目の結婚はそれぞれ数年しか続きませんでしたが、
雅子さんとは30年間、亡くなるまで連れ添いました。

高齢の夫とは一緒に過ごせる時間は長くはないので、
「限られた時間を精一杯一緒に生きよう」と努力したそうです。

でも「夫が死ぬ話などはしたくないから」と、
嘉さんを生命保険にすら入れないで頑張ったそうです。

とはいえ、嘉さんの仕事が初めて公に認められたのは、
結婚25年め、嘉さんが70歳にしてようやく。
(「ふるさと」モスクワ映画祭主演男優賞)

辛抱って時間がかかるんだなぁ、と思います。