ボブ

クリスマスが近づくとアメリカの知人や友人達を思い出します。

アメリカでは、自分を犠牲にしてまで他人に優しくしようなんて考える人は少ないので、
知り合いや仕事仲間は多くても、本当に安心して「友達」と思える人は多くありません。

「あんなに仲良くしてたのに」と思う人でも、「去るもの日々に疎し」ですぐに音信が途絶えます。
また、中・上流階級に限った現象かもしれませんが、自分に利益をもたらす人以外とは付き合いません。

そんな中で、「本当に他人想いの優しい人だなぁ」と思える人がほんの数名だけいました。

城崎~天橋立旅行記事に登場したジム先生もその一人。
今回登場するボブもその一人です。

(いずれも伏字にする必要もないくらいありふれた名前なので、本名でご登場いただきました)。

ボブの一家とは子供のリトルリーグで知り合いました。

二人とも大学院生をしている配偶者(ボブの奥さん、ウチの旦那)についてこの町にやってきたこと、
そして二人とも専業非常勤講師だったこと、そして映画好きという共通点があり、仲良くなりました。

転居してから、お互いのメールアドレスもわからなくなり、音信が途絶えていましたが、
彼の名前をフルネームでGoogle検索してみたら、あっさり見つかり、連絡がとれました!

(な~んだ、早くこうすればよかった!)

聞けば、あちらも今だに非常勤講師だそうです。
「いくらかけもちしても年金や保険には入れないんだ!」と嘆いていました。わかる、わかる!

そして、彼もあちこちのブログやニュースレターに記事やコメントを書いています(笑)。

専任教員の職を探すには博士号を取らねばならず、大学院に願書を出したばかりだとか。
アメリカには論文博士の制度はありません)。

四十過ぎで子供を抱えて学校に戻るのは大変なことですが、その辺の就職事情も、よくわかります。
こちらの状況を書いて送ると、向こうからも「わかる、わかる!」と返事が来ました。

ボブの友達や家族に対する「献身的」な振る舞いは、今でも目に焼きついています。
きっと学生に対しても親身で優しい先生に違いありません。

ボブはプロテスタントの町に育った白人ですが、仏教に詳しく、タイ料理はプロ並の腕前でした。

「せっかく平和な町に住んでいるのだから、人を信じたいんだ」
と言って家にも車にも鍵をかけない、ちょっとアメリカ人離れした人でした。

奥さんは天然な人で、交通裁判所で「違反は認めるから罰金をまけて!」と交渉しているところを、
たまたま同時期に捕まってそこに居合わせたウチの旦那が目撃したこともあります。

そして一家の構成は複雑でした。

3人の子供のうち、長男が奥さんの連れ子、次男がボブの連れ子、
そして一番小さい赤ちゃんだけが二人の共通の子供だったのです。

バベットの晩餐会」に出てくるような厳格な家でお酒は一滴も飲まずに育った夫婦の子なのに、
ワインをガブ飲みする不思議な赤ちゃんでした(マイナスxマイナス=プラス?)

でも家族はとても仲良しで、夫婦それぞれの苗字をくっつけて新しい苗字にしたりしていたので、
今度こそは生涯を共にする覚悟なのかな~と思っていました。

ボブは奥さんの頻繁な転勤や海外留学についていくため、通信教育の講師に転職していましたし、
家事や子守が得意で、子供の学校行事にも熱心、本当に優しいパパだな~と感心していました。

しかしその仲の良い家族は、いつの間にか全米に離散していました。

アメリカでは子供の本当の両親が揃っている家庭のほうが珍しいくらいですから、
離婚の話を聞いても今さら驚きませんが、ただただ、月日の経ったことを感じます。

☆☆☆

あ~もう12月19日か。

今年も、海外の知り合いには誰にもクリスマスカードを出せませんでした。
(年賀状も危ねぇ~な~)

新しいメールアドレスもほとんど誰にも通知してないし、こうして忘れ去られて行くのでしょう。

試しに自分の名前を英語でググって見ると、アメリカにいた頃の古い情報しか出てきません。
「こりゃあかん」と思い、ごく簡単な連絡用のホームページだけ、英語で立ち上げておきました。

ブログも英語にしようかなぁ・・・