大失敗な転職
世間知らずのウブな小娘が男に騙されて売り飛ばされたような話です。
その頃私は、小さな設計事務所で技術系所員として働いていました。
特例で育児のための時短も許していただき、仕事も任されて楽しくさせていただいていたのですが、
なにせ零細企業でしたので、夏冬のボーナス時期はちょっぴり寂しい季節でした。
なにせ零細企業でしたので、夏冬のボーナス時期はちょっぴり寂しい季節でした。
ときはバブル真っ盛り。
支給されたばかりの薄~い封筒を持って銀行の窓口へ行くと、
支給されたばかりの薄~い封筒を持って銀行の窓口へ行くと、
そんなところへ、大学のときに非常勤講師に来られていた先生から「ウチへ来ないか」と電話。
その先生は某ゼネコンの部長で、しかも「給料は今の1.5倍出すよ」と口約束してくれたので、
「行きます~!」とほとんど二つ返事をしてしまいました。
「行きます~!」とほとんど二つ返事をしてしまいました。
ところが約束の日に会社に行ってみると、いきなり仕事を渡され、契約云々の話がありません。
「あの~、条件とかそういうお話は…?」と恐る恐る切り出してみると、
「あの~、条件とかそういうお話は…?」と恐る恐る切り出してみると、
「え?キミは旦那さんもいることだし、給料はあんまり要らないんだろう?」
えぇぇぇーっ!!!!! そんなこと誰が言いましたか~???
ダミー・コンサルというのは、ゼネコンが設計業務受注のために設立している100%出資子会社です。
ゼネコン設計部は公共事業の設計業務を請け負えないため、表向きだけ別会社にするのです。
ゼネコン設計部は公共事業の設計業務を請け負えないため、表向きだけ別会社にするのです。
通常、ダミー・コンサルの所員は親会社からの出向で賄われるので、人件費の予算はありません。
しかしここの場合は、部長が野心家だったので、フリー設計者を常時雇いして請負させていたのです。
しかしここの場合は、部長が野心家だったので、フリー設計者を常時雇いして請負させていたのです。
常識のある方なら「ゼネコンが試験も面接もなしに電話で内定を出すわけがない」と笑われるでしょう。
でも私の親戚一門にはおおよそサラリーマンと名のつく人間がいなかったので、就職音痴だったのです。
でも私の親戚一門にはおおよそサラリーマンと名のつく人間がいなかったので、就職音痴だったのです。
しかも、仮にも大学の恩師に「口約束では心配だから書面で契約してください」なんて言えます???
その先生も、騙すつもりや悪意はなく、女性の就職というものを軽く見ていただけなのだと思います。
今にして思えば少々現実離れした方でした。現在は某大学の教授になっておられますが…
もう前の会社は退職してしまっていて手遅れだったので(今思えば土下座して戻るべきでしたが)、
「せめて前職と同等の待遇にはしてくれ」とゴネ、その約束だけは何とかとりつけました。
「せめて前職と同等の待遇にはしてくれ」とゴネ、その約束だけは何とかとりつけました。
そのコンサルには、私の他にもフリー設計者の方が1~2人机を置いていて、
先輩の一人が「ここはね、ちゃんと言わないともらえないのよ」と耳打ちしてくれましたが、
先輩の一人が「ここはね、ちゃんと言わないともらえないのよ」と耳打ちしてくれましたが、
忠告どおり、毎月月末には「あの、お給料まだですか…?」と交渉しに行くハメになりました。
(「ゼネコン」のつもりだったのが急転、水商売に逆戻りとは!)
(「ゼネコン」のつもりだったのが急転、水商売に逆戻りとは!)
ボーナスの時期になると、ひとり労働組合を起こし「私にも少しくらいよこせ」と戦いました。
そうやって2年以上働いた頃、ようやく心ある課長さんが私のおかれている状況に気づき、見かねて
「ちゃんと契約しましょう」と上に進言してくださり、初めて契約書というものをいただいたのです。
「ちゃんと契約しましょう」と上に進言してくださり、初めて契約書というものをいただいたのです。
しかし、その転職して正社員でなくなった期間は、履歴書上の汚点として永遠に消えることはなく、
今でも私の就職活動に暗い影を落としています。
今でも私の就職活動に暗い影を落としています。
せっかくバブル新卒世代に生まれるという幸運に恵まれていたのに、わざわざ自分で
氷河期フリーター世代と同じ状況に自分を追い込んでしまった、大マヌケなDoodlin'でした。
氷河期フリーター世代と同じ状況に自分を追い込んでしまった、大マヌケなDoodlin'でした。
この経験以来、「お金の話に釣られて動いてはならない」と心に刻んでおります。
(もう誰も釣ろうともしてくれませんけど…)
(もう誰も釣ろうともしてくれませんけど…)