卑弥呼、桜の森の満開の下 (篠田映画2題)

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名優さんでも、あまり沢山の映画に出演していると、パッとしない作品も出てきます。

嘉さんの場合、使い方が上手い監督とそうでもない監督があるようです。
野村芳太郎山本薩夫、それに脚本の山田太一なんかは相性抜群ってとこでしょうか。

その点、篠田正浩は、3作連続で嘉さんを登用している割にはヒドイ扱い方です!
卑弥呼(1974)」「桜の森の満開の下(1975)」の二本を続けて見ました。

卑弥呼」ではなんと大君(おおきみ)の役です。
可哀相な役が多く出世しても中間管理職どまりの嘉さんには珍しく、国の最高権力者!!!

・・・と思いきや、妻の卑弥呼岩下志麻)に裏切られ、家臣(三國連太郎)に殺され、
いつになく長いと思った出番も、映画の前半までにはあっけなく終わってしまいました。

古代人姿の嘉さんもなかなか新鮮ですけどね。(写真左)。

しかし、この役がどうしても嘉さんでなければならなかったか、というと若干の疑問も残ります。
まぁ、気高いが運悪く失脚する傀儡君主役・・・というと他には片岡仁左衛門くらいでしょうか。

桜の森の満開の下」に至っては出番はほんの数秒。
女(岩下志麻)の言いなりに人を斬りまくる山賊(若山富三郎)に話しかける、通りがかりの老人です。

通りがかりの人、ですよ!
なんでまたこんなエキストラでもできそうな役に嘉さんを・・・? (写真右)

1974年の「砂の器」で日本国中を号泣させた直後だけに、このキャスティングは謎です。
名優・嘉さんが何故ここまで軽い扱いを受けてきたか、これは非常に興味をそそるテーマです。

この2作はいずれも、私の苦手なタイプの、やたらと流血し生首が飛び交うタイプの日本映画。
卑弥呼」にいたっては、「古代の日本人はこんなに不気味かしら?」と首をかしげたくなります。

画面の絵作りに拘っているのはわかりますが、嘉さんには良く出来た脚本の人間ドラマが似合います。
(こういう趣味なので、私は黒澤時代劇も北野映画も、どこが面白いのかサッパリわかりません)。

特にこの頃の篠田監督は、岩下志麻(奥様)の美貌を見せたくてしょうがなかったようです。
(未入手ですが、1977年公開の「はなれ瞽女おりん」も怪しいです)。

でもね、志麻姉さんにはやはり「極妻」のように毅然としていてほしいの。
若い男(草刈正雄)に恋して超能力を失う卑弥呼役なんて、いただけないストーリーです!