様式美とクラシック

最近、クラシックと思って借りてきたCDが聴いてみたらポップ・クラシックで仰天することが多いです。
新しいジャンルの誕生はおめでたいことですが、紛らわしいからクラシックの棚に入れないで~!

声楽にマイクロフォンを使ったり、ずいぶん変わった歌い方をする人も増えているようです。
わかって個性を出している人は良いのですが、実力不足・練習不足を誤魔化すためが9割方の模様。

その時代にはその時代なりの様式美があるので尊重してください、と私の先生はおっしゃいます。
様々な時代の異なるジャンルの音楽を聴いて来た感想から言うと、全くその通りだと思います。

「現代の技術に合わせて芸術も変わっていくべき」と言う理屈はわかります。
しかし、時間をかけて熟成した古いものの価値がなくなることはありません。

それがクラシックであり、古典であり、伝統技法なのです。

マイクがあるからといって声楽家が自らの身体を楽器化すべく日々積んでいる鍛錬を軽視することは、
自動車があるからと言ってマラソンを否定するようなものです。

故・淡谷のり子先生や美輪明宏さんや故・ベッシー・スミスもマイクを使いますが、
マイク無しでも歌えるだけの身体コントロールを体得しているからこそ、の歌がそこにはあります。

多くの方が気軽にいろいろなものを楽しめるようになったのは素晴らしいことですが、
何かを習得しようとする入門者がそのあたりを混同すると、取り返しのつかないことになります。

美術の世界で、デッサンもできない初心者にいきなりピカソ(後期)の真似ごとをさせるのは問題です。

底の浅い技術の氾濫は、消費者の鑑賞眼を衰えさせ、さらなる技術の衰退を生む・・・悪循環。

建築の世界でも、「刻み」のできない大工さん(と呼んでいいのかな?)が増えているようです。

「プレカットや仕口金物の無かった時代の技術だから」と片付けてしまってもよいですか?