月真院の思い出

イメージ 6以前にご紹介した京都の[月真院]について
お問い合わせをいただきました。

残念ながら人気の高かったここの宿坊は、
2004年の7月で閉鎖されてしまいました。

ここは宿泊客の談話室になっていた縁側。
左手は仏間をはさんで畳敷きの広間です。

お庭は、残念ながら少々訳アリでしたが(後述)、
入念な手入れのおかげで瑞々しい緑でした。

月真院は、秀吉がねねのために建立した高台寺
塔頭で、ねねの道沿いにひっそりとあります。

幕末には、新撰組から分かれた[高台寺党]
(伊藤甲子太郎他)が屯所にしていました。

宿坊最後となる2004年の祇園祭宵山の夜には、
別れを惜しむ常連客が全国から集まり、

幕末日本史愛好家(?)の方々は
夜遅くまで熱く語り合っていました。

かつては一泊素泊まり3000円という破格値で、
この歴史的な建物に宿泊できたのです。


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伊藤甲子太郎等が寝泊りしていたという、これらの歴史的な屋根裏部屋にも泊まることができました。

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これがその屋根裏からの眺めです。(中央は八坂の塔、2001年元旦に撮影)

イメージ 7最後の夜は、大広間で雑魚寝をしました。
(2004年7月撮影)

京都の暑い夏の夜でしたが、
涼しい風が吹き抜けて快適でした。

京都には宿坊と名のつく施設が沢山ありますが、
こんな調度良い宿坊は滅多にありませんでした。

規則(門限・朝のお勤め等)が厳しかったり、
上洛する信徒のための簡易ホテルだったり、

さもなければ極端に観光化していたりします。
(レディース精進料理プラン、みたいな?)

月真院では、希望すれば寺の生活も味わえ、
また格安に観光したい旅行者も歓迎でした。

ただ、あまりにもマナーの悪いお客さんは
お断りされるか冷たくされていたようですが・・・

団体で一ヶ月間利用したこともありますが、
いつもはワガママばかり言うアメリカ人学生達が、

ここを宿舎にしていたときだけは、皆、
とても行儀が良くなったという奇跡もありました。

それは、当時宿坊を管理されていた長谷川さんというお坊様の力によるところが大きかったと思います。
見た目は強面でとっつきにくいが、実はユーモアたっぷりで、自然体で率直にものを言う方でした。

一度泊まると「京都で泊まるのはココ以外考えられない!」とリピーターになる方が多く、
中には長谷川さんに心酔して自分も頭を丸めたり、日本に住み着いてしまった外国人もいました。

バックパッカーホステル的な設備でお風呂もトイレも共同なのに、中高年層や女性客も多く、
気難しい私の父も、京都の某一流ホテルよりもここのほうがよく眠れたと言っていました。

ただ、祇園のど真ん中という好立地が災いし、改装して商業的に利用しようという話が持ち上がり、
それに反対した長谷川さんは寺を追い出されてしまったのです。

ここの本当のご住職は、雑誌サライなどにも登場しておられましたが、ちょっと変わった方で、
趣味のポケバイに乗るため、小堀遠州の作庭と伝えられるお寺の庭を潰してしまわれました。

(ここは、織田信長実弟・織田有楽お手植えの椿の木もある、由緒ある塔頭です)。

そんな浮世離れした(?)ご住職だったので、外部から寺の経営に口をはさむ方も多く、
実は裏社会の方々もかなり絡んでいたようです。

心配した先代のご住職が、後見して寺を守るようにと、遠縁の長谷川さんを呼び寄せられたのですが、
それが口約束であったため、長谷川さんは寺の不法占拠との容疑で訴えられてしまいました。

長谷川さんを支持する学生や、外国人の常連客が中心となって署名運動なども展開し、
何年も裁判で争っていましたが、結局、長谷川さんは宗派から破門され、寺を追われました。

今はどこでどうされているのか、私は知りません。

裁判記録を見せていただきましたが、法廷での証人喚問や証拠書類の審議等も一切無く、
全く納得のいかない内容で、一方的に裁定がくだされていました。

京都の大寺院の力というものを痛感した一件でした。

長谷川さんが運営する月真院の宿坊が無くなってもう2年以上になりますが、
いまだに溜息をついている旅行者・歴史愛好家は多いのです。