9000円の女

先日の東京行き以来はまっている「さが・ゆき」という歌手の中村八大曲集を聴いている。

中村八大といえば、「上を向いて歩こう」を始めとするヒット曲の数々を書いた歌謡界の大御所だ。
さがさんは即興ジャズを歌う人だが、もともとは中村八大グループの専属歌手だったそうだ。

かつて私は、「中村八大先生に頼めば5000万円ですが、ウチなら100万円でできますよ」
を営業文句にCMソングや社歌をプロデュースする音楽制作会社で、仕事をもらっていたことがある。

CI(Corporate Identity)が流行り、ロゴのデザインひとつに何千万円もかけていた時代の話だ。
八大先生に頼めない中小企業のために、録音をしたり会社のイベントに呼ばれて歌ったりしていた。

(その時、一曲10万円でCMを書いていた仲間の一人は、後に「冬ソナ」に曲を提供する程の大物に・・・)

私の一回のギャラは一万円。源泉徴収されて9000円だった。

子門真人の「およげたいやきくん」は5万円だったそうだから、それと比べると安さがわかるが、
何の資格も実績もない20歳の女の子にはたいそうバブリーな仕事だった。
(昼間は、時給600円で中古車ブローカーの事務員をしていた)。

CMソングなんて覚えるのに手間取るほどの難曲があるわけもなし、
楽譜をもらってから録音が終わるまでの拘束はせいぜい一時間。
なんと、時給9000円だ!

私のような下っ端に有名企業の話は来ないので、社歌を歌った企業名ももう覚えていないが、
何度かイベントに呼んでくださった中堅証券会社がその後バブルの崩壊で破綻したことは覚えている。

東京を離れると、最初のうちはは新幹線で呼んでもらえたが、そのうち声がかからなくなった。
バブルが崩壊し、音楽制作の仕事も少なくなってしまったのかもしれない。

京都で大学生をしていたら、ひょんなことからローカル・テレビ番組の司会の仕事が来た。
これもまた、一回の収録が一万円、税引き後9000円のギャラだった。
(たぶん、業界の最低賃金ってやつ)。

代理店の「最初はまあ、この値段でな・・・」という口車に乗ったが、いつまでも上る気配はなかった。
そのうち、何とか安上がりにしあげようという局の意図で、一回の収録で何本分も撮るようになった。

スタイリストもなく、自分でスポンサー企業をまわって衣装や小道具を借りてきた。(市バスで!)
下手をすれば半日つぶれるから、歌に比べるとワリが悪いなぁ~、と不満に思っていた。

一度だけ、正月用に豪華な振袖を着せてもらったことがあったが、その回は昭和天皇崩御でお流れ。
永遠にお蔵入りの映像となってしまった。

その安上がりな地方番組は、私の不人気のせいか視聴率が上らなかったようで、9ヶ月で打ち切り。
担当のプロデューサーさんは私の生意気さにいつもキレていたそうなので(←後日知らされた)、
番組が終わっても全然悲しそうじゃなかった。

次に代理店さんが持ってきてくれた仕事は、新しくできるFM局の音楽番組DJだったが、
なぜか気分が乗らず、「私、もうそういうの、結構です」と断ってしまった。

(仕事を断るときは、「また今度お願いします」と言うべきだったと学んだが、後の祭り)。

こうして情けない尻つぼみに、私の芸能生活はあっけなく幕を閉じた。
10歳のときから人前で歌ってきたはずなのだが、いつまでもこんなことしてては・・・と思ってしまった。

その後、アメリカで小さく復帰するまでの12年間、歌うどころか、音楽すら聴かない生活。

堅い仕事で身を立てようともしてみたが、結局ことごとく失敗。
どうせ喰えないなら、楽しい仕事をしといたら良かった・・・

いやいや、こんな中途半端な甘い考え方だからダメだったんだ。

さがさんは、本人記載のプロフィールによると、5歳のときから歌一筋だったらしい。
詳しい経歴は書いていないが、あの声、呼吸、完璧な即興は、並みの修業では身につかない。

5000万円の中村八大先生の専属歌手と100万円プロジェクトの9000円歌手の差は、永遠に縮まらない。


注1:音楽製作料の5000万円というのは、そのすべてを八大先生がお取りになるわけではなく、
電通さん等、大手代理店の営業経費その他を含む金額と思われます。
また、実際に八大先生がCMソングの仕事を請け負われていたかどうかは、存じません。

注2:私はテレビ出演中に町を歩いていても「アナタもしかして・・・」と言われたことがありません。
皆さんがご存知のような有名人ではありませんので、ご期待・ご心配なさいませんよう。