ノーベル平和賞に思う

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オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞して、「へっ?」と思っている人は少なくないと思います。だって、「核を廃絶する」ってスピーチで宣言しただけじゃないですか。ゴア元副大統領のほうが、エコで儲けてるとかいろいろ批判はあるようですが、環境問題への啓蒙活動を実践して結果を出したという意味では、業績があったような気がしますが・・・

そもそも、アメリカ合衆国は、世界最大の核兵器保有国ですよね。それを棚に上げてよその国に核放棄を迫っただけで、実際、まだ北朝鮮もイランもどうにもなってない。

文系の審査基準は、やっぱりわけわかんない。理系の世界でいえば、今回の受賞は、研究計画を提出しただけで表彰されたようなものですから。

ノーベル物理学賞や化学賞の人達は、実際の業績を上げてから20年も30年も立って、その後の研究や世の中への貢献がしっかり確認されてから受賞しています。「ノーベル賞受賞の要件のひとつは、長生きをすることである」って意味、小柴、南部、下村、小林、益川・・・受賞者の顔ぶれを見たら、わかりますよね?

こんなことがあると、理系と文系の不公平を改めて思い出してしまいます。

ある大学の学部内査定で、理系出身教員は査読論文の数が揃わないと昇格しないのに対し、同じ学部の文系出身教員は紀要に何報か書くだけでも教授になれるって話を聞いたことがあります。理系学部で博士号のない教員は非人扱い、というかそもそも存在しませんが、文系学部の教授陣の最終学歴は・・・一度どなたか統計とってくださいませんか?

労働時間を単純を比べても、理系教員と文系教員の給料が同じなのはおかしいんじゃないかという声はあります。理系学部の教員は毎日出勤して朝から夜中まで研究室で学生の面倒見るのが普通ですから。(保護者の立場から考えると、子供らには理系学部に入ってもらう方がコスパが良い)

一般社会でも、文系出身者の生涯賃金は理系出身者のそれを平均で5000万円上回るなんて統計もあるくらいで(毎日新聞社刊:理系白書)、労多くして実り少ないのが理系の人生なんでしょうか。まあこの統計に疑問を持つ方もいて、理系の失業率は圧倒的に低いはずだから、手堅い人生だとの意見もあります。宇宙物理だの素粒子物理だのというトンドモナイ(失礼!)分野の卒業生でも、希望すれば就職率は100%です。少なくとも、理系技術者には、組織に依存しなくても生きていける心の自由、という大きな宝物はあります。

同じ理系の中でも、分野によって業績審査基準の不公平感はかなりあります。ミクロ系に比べて、マクロ系は結果が出るのに時間がかかりますし、理論系なんか永遠に結果が出ないリスクもあります。数学など、40歳定年説がありますね。そのような中、比較的成果の早いミクロ実験系の山中伸弥先生ですら、ノーベル賞はまだまだ先のようですから、理想を語っただけでノーベル賞ってのは、どうにも理解できません。

ノーベル文学賞の審査基準もよくわかりませんが・・・

今回、「原爆を使った国の大統領が受賞するのはおかしいと思う」と、広島市民の方がインタビューに答えておっしゃっていたことが、とても印象的でした。環境問題も核問題も、アメリカ合衆国も、自分のお尻を自分で拭いているだけのことなんですよね。米国人の自画自賛を笑うジョークで「我々は奴隷を解放した。なんと素晴らしい国だ!」というのがありますが・・・

今日のもうひとつのニュースで、ウイニーを開発した研究者が最高裁で無罪判決を受けたと聞きました。明らかに悪用されることがわかりきっているソフトを開発することが、本当に無罪ですか?殺人事件で言うところの「未必の故意」か、善意に見ても「過失致死」じゃないのかと思うのは、私だけ?

原子爆弾を開発した物理学者達も、自分達の研究が招く重大な結末に気づかないまま研究に従事しました。その結果、あのようなことになってしまったことを深く後悔をし、その後の人生を平和運動に捧げたのです。アインシュタイン博士も湯川博士も戦後、「世界連邦運動」を展開しましたし、益川先生も「9条を守るためなら研究生命を絶っても構わない」と公言しています。益川先生のおっしゃる「研究生命を絶つ」は、一般の人々の「実際の生命を絶つ」と同等の意味のはずです。

オバマ大統領も、イチローを見習って辞退してほしかったけど、もらっちゃったものはしょうがない。今後は、どうぞ大きな結果を出して、世界の期待に応えてください。