デューク・エリントンの旧家

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アメリカを代表する作曲家デューク・エリントンは、NYのハーレムでその名を成しましたが、実はワシントンDCの出身でした。

先日出張の際に泊まったB&Bの近くにエリントンの実家がありましたが、今は全然関係ないらしい人が住んでいて、話しかけても不機嫌そうに無視されました。ここに連れて行ってくれたアメリカ人(黒人仲間?)が聞くと、しぶしぶ口を開いてくれましたが、市がこんなプレートを掲げて以来、観光客に庭先を覗かれて大迷惑してるのだそうです。デューク・エリントンと同じ家に住むことは、興味の無い人にとっては名誉でも何でもないんですね^^;もし日本人の「ジャズ見学ツアー」を連れて行ったりしたら、怒るんだろうなぁ・・・

ツアーと言えば、相変わらずベストセラーな福岡伸一先生の「生物と無生物のあいだ」に「ロックフェラー大学野口英世の胸像を日本人団体客が見に来て苦笑される」という話がありますが、幼少期にポプラ社こどもの伝記全集を読んで以来、「野口英世は偉人」と思いこんでいた私は、かなり驚いたのですが、実は彼の論文は間違いだらけだったことが後で判明しているそうですね。ところが今日、郵便局でまた野口英世記念切手が発売されているのを見て、またわからなくなってます。ここはひとつ、渡辺淳一の「遠き落日」(野口がモデルの小説)を読んでみるしかなさそうです。

私は野口英世博士の学術的業績について評価をする立場にはありませんが、エリントンが偉大な作曲家であったことはいくらでも述べることができます。アメリカではすでにクラシックの教科書の現代音楽の章に普通に入っています。デューク・エリントンの音楽およびその開拓の業績は、永遠に色あせる心配はないでしょう。

科学はつらいね~