大学事件簿~学位の話

ディプロマ・ミルの問題がようやく新聞沙汰にもなってるようですね。
(英国流ではディグリー・ミルと呼ぶそうな・・・なんだか反対な気がする・・・)

確かに先日、文部科学省から「学位が真正かどうかを調べよ!!!」って通達が来て、
ほどなく「本学には該当する事例はありませんでした」という調査結果も回覧されてきました。

「ホンマかいな~?」という疑問は感じています。

だいたい、無認可の大学でもそこでちゃんと論文出して「学位」をもらった人達はまだマシ。
取ってもいない有名大学の学位を詐称してちゃっかり就職してる人もいますから、そっちも調べないと。

(後者のほうが、本当にそこの学位を持っている人間にとっては迷惑ですよ~)

文科省通達の後、「学位記を提出しろ」なんて話もなかったので、真剣に調査していないことは明らか。
たとえそういった不祥事(学位詐称など)が発覚したとしても、内部段階でもみ消すのが普通です。

だから、マスコミが嗅ぎ回りにでも来ない限り、何も出てこないと思いますよ~

今回、新聞沙汰になった数例でも、「件の学位は昇進の際には考慮しておりません」なんて、
「責任を問われないよう、丸くおさめたい」という大学側の姿勢が見え見えですよね。


アメリカにいた頃、「学位が容易に手にはいります!」なんて勧誘メールが毎日山ほど来てましたから、
これだけ学位・学位とウルサイ世の中、誘惑に乗ってしまう人がいてもしかたない気がします。

件のニューポート大学とやらは、まだ論文出させてるだけマシなほうちゃいますか?
「お金さえ振り込めば即、学位記を発行します!」みたいなのも多かったですよ。

何を隠そう私も、アメリカの怪しげな通信制大学で博士課程をやろうかと思ったことがあります。
だって、数年前から日本では、博士号がないとどこの大学の公募にも応募できなくなったから。

私はアメリカのちょいと名のある大学で、ある分野のTerminal Degree(最終学位)を取りましたが、
専門職大学院なので博士課程はなくて、Master(修士)という称号なんです。

研究だけしている大学院とは根本的に違って、実務経験を教えてナンボの世界だったので、
この学位があればどんな有名大学の教授職にでも堂々と応募でき、全く不自由を感じませんでした。

ところが日本に帰ってきた途端に「博士号が無い」の一言でコケにされ、
苦節6年でようやく就職できたはいいけど、とんだ畑違いの学部で、やっぱり冷たい目。

やっぱり取らなあかんやろか・・・


確かに、ちゃんとした課程を修了するなり、立派な論文を出すなりして取得した博士号は意味がある。
特に研究職なら、博士号は最低限のライセンス、しかるべき大学から早めに取っておくべきでしょう。

でもディプロマ・ミルではないにしても、大学によって博士号取得の難易度はピンからキリまであるし、
組織に地位を持つ人やすでに教員に採用されている人が「立場上取らせてもらえる」場合もあります。

(¥医学博士なんか、かなり値段が高いのもあるそうじゃないですか~¥)

明らかに科学的研究の常識がない人が東大の論博を持ってることを知ってビックリしたこともあります。
分野によっては異なる基準もあるということか、発想の新規性が重要視されたのか・・・う~ん。

アメリカで「博士論文」「修士論文」として認める論文の質に関する基準はかなりうるさかったです。
それは文系でも理系でも同じことで、私のいた大学でも、審査項目があれこれ決められていました。

教員や研究者の、教育能力や社会貢献能力までを内容をきちんと査定するシステムを整備しないまま、
手っ取り早く採用・昇進の査定をしようとするから、おかしな事件が起こるのかもしれません。

ま、こんなくだらない話、本当に実力のある人には関係ないんでしょうけどね^^;

高卒なのに東大教授になった安藤忠雄さんとか、
学部卒でノーべル賞とった田中耕一さんみたいに、

『学位は要りません』なんて、言ったみたいな~