新年の抱負(役所編)

昨年末は仕事でガックリ来ること、ストレスの溜まることが続き、少々5月病気味。
「人の世話なんかもうアホらしくてやってられるかぃ、引きこもって(研究して)やる~」

良心的に頑張ってるだけなのに、前後左右から根拠不明の力で足を引っ張られてやる気を削がれ、
大きな組織の中で、自分の利害と保身しか眼中にない人達の「偽・民主主義」の毒気に当てられました。

詳しくは書きませんが、昨年の8ヶ月間は、とにかく仰天すること、呆れることの連続でした。
ま、急激に改革しようとして議会に干されて失脚した知事さん等の気持ちが少しわかって良かったです。

では頼みの自己啓発はどうかというと、大きな組織って、人の評価基準も傑作なんですね。

期末勤勉手当の査定に「良」とか「可」と書いてあるので、「誰が査定しているのですか?」と聞くと、
「いやいやいや、誰も何も査定してないよ。全員に毎年順番に『良』が回ってくるんだよ」

はぁ・・・?

国立大学法人とか役所ってみんなそうなんですか?
一応「勤務評価はしてます」というポーズですか?

皆勤賞(職員)と論文数(教員)くらいしか評価する基準がないわけだからしょうがないってか・・・

しかも、全員一律に年功序列でボチボチ昇給するならまだ楽しみもありますが、それも過去の夢。
定年までの20年間、順調に「良」査定で昇給しても3万円弱しか上がらないこともわかりました!

このまま行くと、短大卒で初級地方公務員で怠け者だった私の母に退職時賃金で負けることになります。
な~ぜ~で~す~か~!!!(>o<)

部局に尽くし生涯を捧げる覚悟で着任し、部局のご指示の通りに他の仕事もお断りしてきましたが、
このまま自分の本来の専門を捨ててしまって大丈夫なのかなぁ・・・と心配になってきました。

論文を沢山出して国際会議で発表しまくったら少しは給料上げてもらえるんでしょうか?
それとも、自分の所属研究科と違う分野の研究をいくらしても評価の対象外なのでしょうか?

(「オマエは研究せんでええ」という空気の中で書くのは、かなりの覚悟が必要そうです)

さらに納得いかないのは、経験やら資格やらもすべてマニュアルに則った計算方法で評価されないこと。
明らかに職務に関連するような国家資格でも、就業規則に評価の記載がなければ「ゼロ査定」です。

たとえば国際交流室担当の場合、「ボイラー技師」は評価されても「通訳案内士」は評価ゼロなのです!
もちろん、何人の学生がどのくらい喜んでくれたかなんてことは、全く意味を持ちません。

民間では考えられないことですが、そもそも採用される時に自分の待遇を知って来る先生はいません。
「待遇について聞くのはタブー」なのだそうですが、おいおい、これってそんな聖職か・・・?

「たとえ査定に間違いが見つかっても遡っての追加支払いはしない」という条項もあるみたいですし、
早めに人事部に確認しに行ってみたほうがいいでしょうか?(社会保険庁の例もありますしね・・・)

昨年はそんなこんなで、せっかくトップ・ギアで走り出したモチベーション下がりまくり、
今はもうほとんどニュートラル状態です・・・アイドリングは無駄だからエンジン切ろう。

勘違いしてもらっては困るんですが、ガソリンはまだまだたっぷりあります。
思い通りの方向に走ってもらえないとしたら、それは運転手の腕が悪いだけなんです。

というわけで今年の新年の抱負は、

・人の役に立とうと思って自主的に働くのはやめよう(←かえって周りが迷惑がられるだけ!)
・論文の数だけは増やすように投稿しまくろう(→転職に備えて体力をつけよう!)

ということに相成りました。
端的に言ってしまえば、「もっと自分の保身に気をつけよう」ってことですね。

こういった空気の中で、お役所体質というものが醸成されていくのかなぁ・・・
お役人という人種に対する理解が深まったことは、大いにプラスでした。

人に利用されるだけで評価はされない日々の業務へのモチベーションが下がったおかげで、
かえって学問に対する意欲のほうが沸いてきたこともプラスでした。

人生万事塞翁が馬かもしれませんね~

今後は遠慮も憚りもなく、1日の半分は自分の研究のために費やさせていただきたく存じます。
職場関係の方、悪しからずご了承ください。