仏教が好き

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先週末から今日までずっと頭を痛めていました。外国人研究者の研究集会で、「日本人、特に日本人学生は招待したくない」という驚きの発言が出たのです。おいおい・・・私も日本人だよ…まあそれはともかくとして、アナタは今どこの国に住み、どこの国民の血税からお給料もらっていると思っているのか?

発言の主旨は「日本人の学生は幼稚でつまらないから付き合っても時間の無駄だ」というものでした。「質問も発言もせず自分の意見も持たない人達など、研究者として認められない」というのです。口数が少ないだけでバカ扱いされる、という苦い経験は私もアメリカで痛いほどしてきました。でも日本に何年も住んで働いている人が、無口でも優秀な人達がいることがわからないって・・・?「国籍や身分や発言の有無に関わらず優秀な人は優秀なんだから、オープンに招待したらいいじゃない」と気弱に説得を試みましたが、全く聞く耳を持っていただけませんでした。

ちょうど先日も、私のお勧めで銀閣寺を見学に行ってきた交換留学生が「思ったより建物が小さくて地味でガッカリしたわ・・・」と言いながら帰ってきたところでした。建築関係の留学生の中では銀閣寺は人気ナンバーワン物件でしたから、こちらのほうが数千倍もガッカリしていたところでした。

どうしたらこういう人達に日本文化を理解してもらい、日本での生活を楽しんでもらえるのか?反対に、どうしたら上記のような誤解を与えない、外交力のある日本人学生を育成できるのか?また、英語による教育ばかりを推進することが真の国際交流に繋がるのか、という新たな疑問もわきます。日本語を勉強せざるをえない学部留学生は異文化理解も早く、何よりも謙虚な姿勢を持っていますから。

見通しの暗さが仕事への意欲を減衰させていく力との戦いに心は疲弊し、さらには「そんな差別はダメ!」とその場でキッパリ言えなかった自分の弱さへの悔恨にさいなまれていました。そして今日、英会話ランチの会に集まった研究員や学生の前で、会話の成り行きからつい、こんな情けない仕事上の悩みを打ち明けてしまいました。

すると隣に座っていた外国人研究員さんが、まるで我がことのようにショックを受けてくれたのです。「そんなことを言う人がいるなんてとても信じられない!悪夢を見ているみたい!!!」と。そばにいた別の留学生も「それは差別的暴言。日本人は怒るべき!」と代わりに怒ってくれています。まるでこの人達が私の悩みを肩代わりしてくれたように、いっきに雲が晴れる思いがしました。

さらに午後、見学に訪れたお寺でたまたま聞いた和尚様の法話で、気分は完全にスッキリ。(左京区鹿ケ谷の法然院さん、本堂と方丈・庭園の特別公開は7日まで)

「すべての物は変わり続けるもの。こうあるべきだと決めつけて期待するから煩悩が生まれる。日本はここ3、40年かけておかしくなってきた。戻るとしても同じくらいの年数がかかるでしょう。」そんなふうに言われてみると、「私が心を痛めてもしかたがない」とふっきれました。また、自分の思い通りにならないからといって安倍さんや小沢さんのように辞任する必要もないな、と。

不思議なもので、お寺の法話を拝聴するたび、その時の自分にピッタリなアドバイスが聞けるのです。宗派の違うお寺でもいつもそうで、「私の心が透けて見えているのかしら?」と思うくらいです。いつも「授業に使う庭の写真を撮ろう」といった下心があって訪れる京都の寺社ですが、必ず何か大きな心の救いをいただくことができます。本当に有難いことです。和尚様も「自分のタイプに合えばどんな宗教でも宗派でも結構ですよ~」とおっしゃっていましたが、この大らかさが仏教の真骨頂ですね。争うとか主張するとかいう必要がないんです。

やっぱり仏教はいいな~と思った午後でした。