私の先祖(もうすぐお盆)

東北一周の旅に出ている長男は、岩手で主人の家のご先祖様の墓を訪ねたり宮城の親戚の家に泊めていただいたりしています。

でも秋田にいる私のほうの親戚は素通り。ちょっとワケありで、ここの土地は私もまだ一度も訪ねたことがないし、親戚のどなたともお会いしたことがありません。

だって、私の母は私生児(ブッブーッ)。

祖母の名誉のために言いますが、祖母は戦前まで皇室御用達もしていた女貿易商で、
マニアックな歴史書には名前が出てくるほどの大人物でした。そして故・祖父は秋田の大地主。

双方の財産がらみの問題から周囲の反対に会い、結婚できなかったらしいのです。
詳しくは知りませんが、昔の民法はいろいろと制約が多かったようです。

私の父方の一族もかなりのワケありです。
ある時、伯父のひとりが「家系図を作ろう!」と張り切ってご先祖様のことを調べたところ、
私の曾祖母の代でいきなりストップ。

曾祖母は二号さんだったらしいのです! (←元新橋芸者だったとか)

こちらも名誉のために断っておきますが、曾祖母も、のちに東京の下町で造り酒屋を開いた女実業家で、自立した方でした。

その娘(私の祖母)も、店をさらに拡大し、町で最初に洋酒や輸入食品の販売を始めたような凄腕でしたが、働かない入婿の夫(祖父)を家から叩き出し、8人の男の子を女手ひとつで育てました。

しかし籍を抜くのは忘れていたらしく、40年以上経ってから、聞いたこともない地方の市役所から亡くなった祖父の遺体を引き取らされ、渋々ながら葬式を出していました。
(悪口しか聞いたことなかったけど、生きてるうちにお会いしたかったですよ、おじいちゃん)。

それにしてもうちのバアちゃん達はみんなシングルマザーとは・・・
そしてこの明治女達は、みな「家事は一度もやったことがない」と豪語してました。

男が働かず素行が悪いのもウチの一族の特徴でした。(←祖父の血?)
「社長」は名ばかりで店は妻にまかせっきり、外で遊び歩いたり古美術集めにウツツを抜かしたり・・・。

幼い頃、家に突然親戚だというドイツ人(ハーフ)がやってきてビックリしたのですが、
事情を聞くと伯父の一人が戦時中に外地で作ってきた子供だとか・・・絶句。

また他の伯父の葬式でも、今まで会ったことのない従姉が突然現れました。やだな~、もう。

親戚間の争いごとも多かったので、ご先祖様の遺骨もそこいらじゅうに分骨されてバラバラ。
数家族が同じ敷地内に住んでいるのにお互いほとんど口を利いてないというケースもあります。

そんな一族の墓に入りたくない父は「俺が死んだら骨はトイレにでも流しといて」などと言います。
そういう父も道楽者で身上を潰し、私の両親も離婚してややこしいことになっています。

なので、私にとって帰省は非常に気の重いイベントです。
(とばっちりは、祖父母からお年玉をもらえないうちの子供達)。

私自身は、この呪われた血統を断ち切るべく、家庭第一でやっております。(←仕事がないだけ?)

建築家ルイス・カーンについてのドキュメンタリー映画「マイ・アーキテクト」でも
「The Story of the Bastard」というチャプターがありました。
(あの映画は、建築の話はわりと手薄で、どちらかというと人間ドキュメンタリーでしたね)。

日本語字幕では「私のこと」としか書いていませんでしたが、Bastardは「私生児」の意味です。
複雑な思いが込められていたと思います。

それぞれに事情はあるのでしょうが、子供にとって、家庭は平凡に越したことはありません。ハイ。