成績の交渉

後期の成績を今日中につけて出すつもりだったのに遅れています。成績評価メモを入れたファイルが見当たらないのじゃ~。誤って消してしまった可能性が大です。もう一度一から答案を見直すしかないな・・・毎週の課題ののコピーをとっておいて良かった。

いつも、自分が赤ペンで書いたコメントを含めて、課題提出物のコピーをとっています。(いつまでもペーパーレスになれない人・・・)また、万一の成績つけ間違いが起こらないよう、一人ひとりの評価を事前に個別メールで通知します。大学も今はコンピュータで管理された巨大組織。入力や転記の間違いも実際によく起こるのです。

最優秀の学生2名が、どこでどう間違ったのか不合格にされかけたときもありました。でも日本の学生さんは大人しいですから、つけた成績に文句を言って来る人はまずいません。黙ってあきらめちゃうんですね。おいおい、遠慮して損してるそこのアナタ~

これがアメリカ人の学生ですと、成績発表後の一週間ほどは、クレーム処理に追われます。成績が直で奨学金の金額等に影響するので、彼らの場合、生活がかかっているのです。「あんなに頑張ったのに何故Aではないのですか?」といった質問・交渉・懇願がどっと押し寄せます。自分がサボったくせに、「先生の教え方が悪い」と学部長等に訴えに行く学生も少なくありません。

演習科目は、試験の点数等がないので、成績付けの基準を明示しておかないと偉いことになります。シラバスと採点基準は、一学期の初めに配る契約書のようなものなんです。下手をすると弁護士をしているとかいう父親が登場し、理路整然と釈明を述べ立てくることもあります。(ひぇぇ~、言い返せるわけないじゃん・・・)。アメリカ人学生が自立しているというのは、もはや昔の話。毎晩、過保護ママから送られてくるファックスに泣かされたこともありました。

そんな中で、出席や毎週の小テスト等の細々した点数の合計で客観的(=冷酷非情)に成績を出し、答案のコピーも保管し、エクセルに集計一覧を保存するという習慣が身についてしまったのです。設計課題などは主観が入りますが、一時はフィギュアスケートなみの細かい採点をしていました。(今回のように間違って消してしまっては意味無いのですけど・・・)ああ、「印象点」で一刀両断にできたらどんなに楽しいことだろう!!!

2002年のとある日、不出来だったのでCをつけた4回生から、長い長いメールが送られてきました。それは、「9月11日が私の運命を変えました。」という一文で始まっていました。「何だ、何だ!?」と思いながら読み進んでいくと、要は、

911テロ
→航空会社減便
  →空港アルバイトの減少
    →その他いろいろあって(中略)
      →勉強する暇がなく
        →不本意な結果となった、

という文脈の釈明でした。

でも、これは例の911テロが起こってから1年以上たった後の話です。知らんわな~そこで私は丁寧に返事を書きました。

「それは大変お気の毒な話です。あなたのような優秀な学生が間違った社会のために悪い成績で卒業していくことには我慢がなりません。是非何とかいたしましょう。Cの代わりにD(不合格)に変更するということでいかがでしょうか?そうすればあなたは来年この科目を再履修し、優秀な成績で卒業することができるでしょう。ただし1年遅れにはなりますが・・・同意される場合にはただちに教務に手続きをとらねばならないので、至急ご連絡下さい。」

この学生からはそれきり返事がなかったことは言うまでもありません。